潜態論入門(自然科学篇) 第4回

河野龍路  

1 時空

わたしたちは、世界の出来事を空間と時間という枠組みの中でとらえています。

ニュートンの科学観では、宇宙内で起こる様々な現象と空間と時間はそれぞれ単独に存在するものであるとされていました。近年、相対性理論が登場するにおよんで、この三者は独立したものではなく、それぞれ密接な関連のもとにあるという考え方に修正されたということになっているようですが、それが自然界のどのような原理によるものか、その本質的理由は定かではありません。

それはともかく、わたしたちの日常の暮らしは、この三者、物事と空間と時間はなくては成り立ちません。その常識的な見方においては時空とその中の出来事は一応独立したものとして分けて考えられているといってもよいでしょう。

この空間と時間というものさしが、人間の主観にもともと備わっている形式なのか、それとも客観に外在する形式なのかとういことが、哲学的な問題としてよく取り上げられているようです。


「ボールがある」という簡単な事実のなかにすでに空間的配置の意識が生じており、その運動をとらえるためには時間的推移によらなくてはなりません。複雑な人間の一生や人類の歴史もこの空間時間を抜きにしては語ることができないのです。

ところが時間と空間は、ボールの運動のように具体的な客観現象として取り出すことができません。これが、時空が主観の形式とされる理由ともなっていると考えられます。一方、時空がボールの存在や運動といった客観現象の経験に依存することもまた事実であり、それが主観を離れた客観側に属するとされる理由ともなります。

主観にもなければ客観にもない。このように、時空の実体がわたしたちの認識の内部に見当たらないということは、それが認識以前の潜態および潜態論的現象に由来するからではないかと推測されます。


|A> , <A| → <A|A> → 対象A 、空間、時間


もし、この空間と時間がこの上の図式のように潜態からやってくるものであるとすれば、わたしたちの認識にその実体が見いだせないのも無理からぬことだからです。


2 潜態論的時空

ここに考察対象 <A|A> があるとします。例えば、草花などです。

当然、草花<A|A>は半開ですから、環境に対して開かれています。いまその環境を <E|E> としておきます。例えば土壌、大気、日光などがそれに当たります。ところが草花の環境とはそうした周辺領域にとどまらず、環境Eを取り囲むさらに広大な環境領域に及ぶことはいうまでもありません。それらの不可視の領域を<X|X> としておきます。例えば、地球内部あるいは大気圏外などのすべてです。

同様に、宇宙において見出されるあらゆる現象は以下の三種類に大別されることがわかります。

考察対象 <A|A>

周辺環境 <E|E>

不明環境 <X|X>

わたしたちの眺める一切の物事には、必ずこの三種が想定されます。譬えて言えば、真っ暗な部屋に懐中電灯で光をあてて内部の様子をうかがう時に、光のあたっている対象物、その周囲の事物、それ以外の暗闇ができるのと似ています。

以上より、空間と時間の正体が浮かび上がってきます。

考察対象 <A|A>、周辺環境 <E|E>、不明環境 <X|X> の三者は潜態においては融重して|A> <A| , |E> <E| , |X> <X| となっているはずです。

潜態が考察対象Aという現象に閉じるということは、同時に周辺環境E、不明環境Xも対立的に閉じるということです。ここで、AとEの間に空間が発生し、さらにXはAおよびEに忍びよる正体不明の何ものかの作用として感知されているはずで、これがすなわち時間です。


3 空間

空間とは、考察対象<A|A>およびそれを取り囲む環境<E|E>によるものであると述べました。飛ぶ鳥を見てそこに大空という空間を見ます。もし鳥も大空もなかったらそこには空間があるのか、という疑問もわきますが、もし一切の事物がなかったら「空間がある」ということ自体が不可能です。なぜなら空間は何らかの事物の存在を常に前提としているからです。  

以下、わたしなりの推論によって、空間について多少観念的な説明を加えさせていただきますので批判的にお読みください。

A  、 E  

<A|A> <E|E>

|A> <A| , |E> <E|

上段から通常の現象、潜態論的現象、潜態のそれぞれの考察対象とその環境の記述となります。

まず上段の図から通常の空間とは、現象がA, Eという閉じた像として観察されるときにそれらを隔てる何もないところとして見出されることがわかります。逆にこの何もない空間があるからこそ、A, Eという現象が独立して感知されているともいえます。

しかし潜態では空間にあたる部分は何もない空隙ではありません。その余白部は潜態における融重の場であって、あらゆるものが干渉関係にあります。これが潜態論的現象にいたって電磁力重力などの相互作用の原因ともなると考えられます。近年の物理学でも真空が無ではなく色々な現象を生み出す場であるというようなことが言われていますが、潜態論では当然のこととなります。真空とは潜態において認識にかからない部分のことにすぎないからです。

現象上ではばらばらに独立した事物も、潜態では融重といういわば相互規定の関係にあります。ところがこの融重関係は認識できませんから、現象上ではそこに何もない空間というものを見出して、事物はそれによって規定されているように感知されているのではないかと推測されます。つまり座標空間によって様々な事象の姿とその運動が規定できるということの背景には、潜態における融重という相互規定があるからで、それが空間の起源となっているとも考えらえます。


「因みに電子の空間的拡がりと解釈せられているものも、実は諸属性の相関関係に於て発生的に生ずるものであり、決して空間が先ず別個に存在しているのではない。又いわゆる電子の外部的空間と雖も、実は、他のいわゆる別個別個の存在の潜態的関連に於て、生じていることを認識すべきである。」

文明維新論(レグルス文庫)P132

 

ところで空間は具体的には、縦、横、高さの三次元で指定される座標で計測されます。

小田切が指摘するようにこの三つの要素はお互いに独立しています。すなわち、これら三要素は自己に閉じています。縦、横、高さの三方向をx , y , zで表すとすると、潜態論的現象においてはそれぞれ<x|x><y|y><z|z>となります。さらにこれらの潜態においては融重して因干渉によって、<x|y><y|x><z|x><x|z><y|z><z|y> といった他閉を生じます。これらの要素が個々の潜態論的現象に内在し、現象上の内的な空間の広がりとして観測されるものと考えられます。潜態論ではこのx, y, x をそれぞれ1, 2, 3の指標で記述しています。この指標をもって前回の現象(a|a)を記述すると以下の各項の集合となります。

{(ar1 | ar1)、(ar2 | ar2)、(ar3 | ar3)

(ar1 | al1)、(ar2 | al2)、(ar3 | al3)、

(al1| ar1)、(al 2| ar2)、(al3| ar3)、

(al1| al1)、(al 2| al2)、(al 3| al3)}

ただし、各項の他閉項、例えば(ar1 | ar3)などは省略してあります。


4 時間

すべての物事は時とともに変化していきます。

空間の場合は目の前の具体的事物を通じて「広がり」として思い描くことはできますが、時間はそれができません。物事の変化とともに「何かが過ぎていく」ということが意識されても、その「何か」がわからないのです。その「何か」は天体の運行や時計という周期的な現象でもって計測されますが、計られているもの自体が姿を見せることは決してありません。

小田切はこの時間の特性をあるがままに直視しました。すなわち、「姿を見せないものこそ時間」であると。そして宇宙にはこの条件に該当する大要因があるのです。それは、先の不明環境 <X|X> にほかなりません。自然界の運行に常に寄り添うものでありながら、決してその姿を現さないものだからです。この広大な不明環境は対象Aとその環境Eの隅々にいたるまで影響を及ぼしているにもかかわらず、その痕跡を残すもの自体が何者かは不明となります。その見えざるものがわたしたちの世界に残す痕跡を、天体の運行や時計などの周期的な運動を使って相対的に計っているということです。


「人間は殊に科学は人為を以て宇宙の部分を束縛し、何とかしてそれを考察対象として限定しようとする。その時同時に必ずその環境が出来る。それは今更云う迄もないことだが、広大無辺の宇宙全体が環境となるのであるから、吾々は環境の全体を知り尽すことは到底あり得ない。敢(あ)えて区別するならば認識し得る環境と其以外のものとなろう。この後者は環境に属するとは云え遂に認識に登り得ないものの一切であるから、考察対象がそれによって受ける影響変化は何者の仕業とも認定し難い筈である。換言すれば考察対象は、この認識不能なる曲者のために不知不識且次第に変化を余儀なくされている。筆者はこの曲者を〝時〟と命名した。事実この〝時〟がたつにつれて事物が変化するが、〝時〟の正体は不明である。当然の事と云わねばなるまい。」


時間は物理学では通常tで表されています。

潜態論では時間とは不明環境の一切として、対象aに干渉しますから、tも半開の現象として以下のように対象aと融重しているということです。

|a> <a| , |t> <t|

そして現象化に際しては現象aを構成する内部要素として以下の各項の集合となります。

{(ar1 | ar1)、(ar2 | ar2)、(ar3 | ar3)、(art | art)

(ar1 | al1)、(ar2 | al2)、(ar3 | al3)、(art | alt)

(al1| ar1)、(al 2| ar2)、(al3| ar3)、(alt | art)

(al1| al1)、(al 2| al2)、(al 3| al3)、(alt | alt)}


潜態論的時間論によって、何ゆえ相対性理論において時間と空間が関連しなければならなくなったかも判明します。それは考察対象にとっての周辺環境 <E|E>と不明環境 <X|X>両者の間に境界線が引かれないからだと考えれば理解できます。

ところで、本質である潜態には対象、環境、不明環境といった恣意的な認識設定はありまえませんから、潜態には時空は無いということになります。時間空間というのは現象に伴って発生する形式だということです。